Mifeenaの日記

2006-05-18桃栗3年 耳8年

ストオオオオム

本日飲み会でした。

かなり楽しいお酒だったんで。

そんなに飲んでないにもかかわらず、結構酔ってたなあ。

帰宅したらまあ、当然のごとくバタンQ

 

[]お城にGO

むくっと起きたら4時頃でした。

まともに起きているメンバーおらず。

んが、友達リストに、なんかうごめいているナニカが・・・!

「あー 耳がすばらしいツンデレ科のプリさんか」

wisしてみると徹夜コースとのこと。

溜まり場に攻め込んで話した後。

お城に行くことに。

WIZの出番だっ!

この時間でもややラグかったりで。

フェン装備持ち替え時に、いつものタイミングでやると敵の攻撃に中断されたり。。。

後半はクルセさんが献身を結構張ってくれていたので助かったかなあ。

ツン子さんが眠い!と唐突にいって、帰還することに。

ブログで見たところ、クルセさんもちょいでLVUPじゃん・・・

強烈な「眠い!」宣言によりLVUPできなかったクルセさん南無(-人-)ナームー...

40分強くらいだったと思うけど、こちらは順調に3%以上UP40%になるる。

@60%がんばるるぞう。

 

[]おまけ

ツン子さんのBSの耳を。  

f:id:Mifeena:20060519061935j:image

名言:「桃栗3年 耳8年」 もっと耳を熟成させるのだっ!

 

f:id:Mifeena:20060519061939j:image

結構好きな構図。

昨日は生体にはいってませんが。

いいフォーメーションだなあとおもって。

 

[]2002年6月のころの自分~優しさって?~

 

本日から運用する定点観測。

昔書いた短い日記めいたエッセイを振り返りつつ。

今の自分の考えとどう違うかなあとか。

比較的新しいものからどんどんさかのぼっていこうと。それでも4年前の考えですねえ。

                      • 以下原文-----------

 

今日徒然草(2002.6.5)~

 久しぶりです。今日徒然草。忙しさに負けて先月はサボりです。

やっぱり書けるときに書かないと、こういうのは。とか思いました。

 今日テーマは 「優しさより思いやりで」 とか徒然なるままに書いてみようと思います。

短く(?)まとめてみようと思っておりますので、管理人の駄文につきあっていただければ幸いです;

 

 

 いろんなシーンで「優しさ」とかいう単語を耳にします。(地球に優しいとかいうのもありますが;)

「優しさ」ってたくさん使われる単語ですが、「人に優しく」という単語がどうも苦手です。

自分では使わないようにしている単語だったりします。

 (今の人間は哀しいけれど、互いを分かり合えない存在というのが私の根底にあるからかも知れませんが)

苦手といっても、誰かの私へのアクションに対して「優しいな」と温かい気分になることは多々です。

こういうシーンで「優しい」は逆に多く使うかも。

 ただ自分からの誰かに対するアクション前に「これは優しい行い」とは認識しないように気を付けてます。

 

 

 こんなややこしいことに気を配ってるのは、実は理由がありまして。

「これは優しい行為なんだ」「だから人が優しいと思うはず」という感覚が嫌なんです。

だって、これはあくまで受け取り側の感覚じゃないですか。

優しいって。

同じ行為でも、誰かは「優しい」と感じてくれ、誰かは「おせっかい」と感じるかもしれない。

(もっと負の感情に振れるときがあるかも)

さらに同じ人への同じアクションでも、時と場合によっては全く違う形に受け取られる。

「優しい」ってキワどい言葉だなぁ、と思うのです。

 受け取り側がどう感じるかは、想像でしかなく。

望んだリアクションを返してくれるとは限らない。

アクション前から「優しい行為」と思いこんだ挙げ句、

相手のリアクションが不満で逆ギレなんて良くあることかも知れません。

いわゆる感情の行き違いってヤツで。

 相手の感情を想像するのは本人の勝手ですが、相手のリアクションまで規定して、

「これは優しいとはず」と思い込むは、踏み込み過ぎなようで好きになれないのです。

 

 

 そう言う行き違いの末、私は「これは優しい行為」とは思わないで、

「思いやり」という考えを採用することにしました。

(採用というのはこれから先この考えも変わりかねないので、あえて)

 ちょっと心の割り算して、割り切ることにしました。そのあたり。

相手が「優しい」と受け取るとは限らない。

でも、このアクションは「相手がいて」「相手を想う」ことから生まれているのは間違いない。

相手がいて良かれと願う「思いやり」の感情が原点にあるのは間違いないのだから。

だから「優しい行為」ではなくて「思いやり」と。

 割り切りの効果として、

現時点では相手の感情が「負」に振れて悲しみや怒りを受け取っても

長い目で「正」に振れるならばアクションを起こす意味があると、

覚悟を持つことが出来たということ。

 

 と、ここまで書いていて相手に積極的に接しようという人達には

不満というか欲求不満な文章かなぁ、と感じます。

 誤解を受けても優しいと思ってくれと接する人達にはパワーがありそうですから。

消極的すぎる意見なのかも知れないです。

要は使い分けという結論なのかも知れないですけど、

私には「優しさより思いやり」のほうが合うかなぁ、と。

 

 しばらく休んでいた間に支離滅裂な文章書き度がアップしたようです;

もうちょっと推敲してこっそり直す可能性大です(笑)

 で、最後ですが「思いやり」よりも、「想いやり」のほうが、

言葉の力がアップしそうな気がします。

ただ、辞書に載らない単語なんですよね。それが少し哀しいのです。

 

それでは、またの機会に駄文につきあっていただければ幸いです。

 

                      • ここまで-----------

 

書いていたころで比較的新しいものだけど。

ここの考えはまったく変わってないなあ。。。と。

特に、「優しさより思いやり」で、ってのは今でも使うし。

が、年数を経て、結構踏み込むシーンも増えてきましたね。

基本スタンスは上のとおりなんですが、すべて踏襲せず、

「迂遠」と感じたときにはより踏み込むように。